令和4年8月
夏本番となれば、セミの出番です。蝶は花から花へひらひら舞いますが、この期のセミは園庭の桜の周囲を、ビュンビュン羽音を響かせながら飛び回っています。ちょっと落ち着いたかと思ったら、今度は桜の木倒れろ!とばかりに、シャーシャーシャーシャーけたたましく鳴き叫びます。桜の樹液は、セミを陶酔の境地へいざなうのでしょうか。その横を「うるさっー!」と叫びながら子どもが登園してきます。確かにその気持ちに同意ですが「セミは盆までやけど君らは1年中やで」と、声を大にして言いたい今日この頃です。
私が子どもの頃(半世紀以上も前)、近所の公園で見られるセミと言えば、翅が茶色のアブラゼミばかりでした。翅の透明なクマゼミは、ほとんど見られませんでした。だからとにかくクマゼミを、つかまえたかったものです。しかし今では反対に、アブラゼミが全く見られません。元々クマゼミの方が、暑い気候を好むと言われています。こんなところからも、地球の温暖化をひしひし感じます。
さてセミとりをしていると、虫の好きな子[u1] 苦手な子がはっきりします。ただし苦手と言っても、セミが嫌いということではありません。セミには興味津々です。虫取り網を持つ私の後を、ゾロゾロついてきて「とって、とって、ほしい、ほしい」の大合唱です。ただセミには触りたくないだけなのです。保護者の皆さんも、虫は苦手という方は、多いのではないでしょうか。虫好きお母さんは、少数派だと思います。
改めて考えると、これも長い人類の進化の結果です。虫に触れるのは勇気があり、触れないのは臆病者だ、だからみんな勇気を持てっ!とは単純に言えません。進化の過程では、この臆病さ、言い換えれば慎重さがあったから、危険を遠ざけ生き残ってこられたのです。特に子育てを担う女性には、より慎重さが求められました。虫のような異形の物には、近づくなという事です。それが今もって、虫嫌いの女性が多い理由の一つかと思います。一方男性は、自分の勇敢さや逞しさをアピールするため、あえて訳の分からないものにも、無謀に立ち向かいました。その結果、真っ先に死んでしまった男も数多くいたはずです。ところが餓死しそうな時に、わけのわからない物でも、率先して食べたおかげで生きのびた事もあったはずです。だからこんな傾向を持っている男性には、虫好きが多いのかもしれません。いずれにせよ、どちらか一方のタイプだけでは、我々人類は現在まで生き残ってこられなかったでしょう。過去、人類の仲間(例 ネアンデルタール人等)は26~7種いました。しかしながら今も生き残っているのは、我々ホモサピエンスだけです。おそらく種として、無謀と臆病の両者が存在していたことが、生き残った理由なのかもしれません。
こうやって考えれば、何かが出来る人が良く、出来ない人はだめだとは、単純に言えないでしょう。例えば現在の価値観では、学校の成績が良い事は良い、と考えられているかもしれません。しかし、それもここ100年くらいの価値観です。それ以前は、学校の成績が重視されるような、社会ではありませんでした。あくまでも現在の価値観ではどうか、というだけの話なのです。時代が変われば、価値観も変わります。
今は、何かにつけ自己選択の必要な世の中です。ほんの半世紀前くらいまでは、良くも悪くも人の生き方は決まっていました。あまり選択の余地はなかったのです。しかし今は違います。自分の生き方は自分で選ぶ時代です。その為にも子どもたちには、出来不出来だけが全てというような価値観は、持ってほしくないのです。もしそんな思いを持てたなら、もう少し肩の力をぬいて、生きていけるのではないでしょうか。
[u1]えな子