令和4年9月
あれだけ空気を沸騰させていたクマゼミが、あちらに一匹こちらに一匹、静寂の姿を見せています。残暑まだまだ厳しい中、いかがお過ごしでしょうか。
先月職場で、4回目のワクチンを打ってきました。これで1・2回目がモデルナ、3・4回目がファイザーとなりました。今回も特に副反応はなく、2日間ほど腕がだるいのと、翌日少し倦怠感があった程度でした。コロナとの共存は否応なしですが、大流行は第7波で終わりにしてもらいたいものです。
さてこんな状況の中で我が子が熱となれば、思わずコロナかっ!と、どきっとするのではないでしょうか。ただ子育てをしていれば、どきっとするのはコロナだけではありません。ある日突然、子どもがいじめられていると言い出した日には、親の鼓動は一気に高鳴り、ましてそれが初めてのこととなれば、いても立ってもいられなくなるでしょう。
ここで質問です。この文章を読んでいる皆さんの多くは、今子育て真っただ中だと思います。では自分は、正しい子育てをしていると考えますか。
一つ思うことがあります。それは、間違いのない正しい子育ては〈ない〉という事です。子育ては、揺れる中にしかないのです。正しい子育てを信じていると、親子関係は必ずおかしな方へ向かってしまいます。子育ては言うなら、枠組みを拡げる活動です。枠組みとは、行動規範(社会生活を営む上での様々なルール)であり、子どもたちはこの行動規範を、最初は親を通して身に付けていきます。しかし国、民族、宗教、性別、歴史…等々によって、行動規範は違います。さらに個々のレベルともなれば、それこそ親の数だけ行動規範がある、といっても過言ではないでしょう。又子どもによって、理解や認識も千差万別です。だから間違いのない正しい子育てなどないのです。
もしわが子に問題が生じた時、その原因を外か内か、どこへ求めますか。外とは自分以外の誰かや何か、内は自分自身です。もちろんそんな単純に、外か内かは決められないでしょう。しかし中に、常に原因を外へ求める人がいます。ところがそんな場合に限って、内に原因のある事も多いのです。しかもどこかでそれを知りながら認めない、それは過去の堪えがたい経験を無い事にして、日常を送っているからです。もし自分に原因があると認めたなら、そんな日常が壊れるかもしれない、それが怖くて常に外へ原因を求めてしまうのです。
過去を隠蔽する原因の一つに、親が自分の親との関係に、葛藤を抱えていることがあります。葛藤といっても様々ですが、本人にとって堪えがたい葛藤は、心の奥底に押し込めてしまう場合があります。しかしそんな歪みが、我が子との関係に影響を及ぼすのです。この図式が、さらに上の世代から繰り返されてくる事があります。これを因果は巡ると言います。この悪循環を断ち切るには、隠蔽している原因を認めるしかありません。心理学でいう、無意識を意識化するのです。当然そんな簡単に出来ません。意識することに堪えられないから、無意識に押し込んでいるのですから。しかしながらもし自分に原因があると認められるなら、安定した親子関係にも繋がっていくのです。
一方隠すもののない親は、これで良いのかこれではだめかと、内へ外へと揺れながらも原因を追究出来ます。その結果、本当に安定した親子関係を築けるのです。揺れることを心配しないでください。もし行き過ぎたかなと思ったら、また戻れば良いのです。