『 想像スタジアム 』

皆さんは野球に関心がありますか。昨年はオリックスバファローズと阪神タイガースが優勝し、関西は大いに盛り上がりました。今年は現状、両チームともに調子が上がりませんが、是非連覇してほしいものです。他チームのファンの方すみません。 

少し前の話しです。新年度の始まった4月、年長さんと野球をしました。やろうと言い出した男の子が、ピッチャーをしたいというので、私がキャッチャーです。ピッチャー第一球、大きく振りかぶりストレートを投げてきます。ど真ん中に決まりました。いい球です。するとそれを見ていた男の子が「よして」と言いながら、バッターボックスに入ってきました。そこでピッチャー改めて投球モーションに入り、渾身のスピードボールを投げ込んできました。バッターはその球を、何とかファールにします。すると今度は、ピッチャーはキャッチャーの私に、サインを出してほしいと要求してきました。そこで私はインコース低めに、ストレートのサインを出しミットを構えました。その1球目はボールでしたが2球目は見事に決まり、バッターは空振りです。いつの間にか審判になった子が「2ストライク!」とコールします。さて3球目、やはり自信のあるストレートを投げてきました。しかしさすがにバッターも目がなれてきたのか、快音とともにセンターオーバーのヒットを打ちます。続いて審判だった子がバッターとなり、しぶとくヒットを打ちます。そのまま3塁を狙ったのですが、好返球に阻まれタッチアウトに倒れました。次は女の子がバッターボックスに入ります。粘りに粘ってフルカウントの末、最後は内野ゴロに倒れました。こんな調子でピッチャー、バッター、審判それぞれ交替しながら、片づけの時間まで野球をしていました。園庭を走り回る子ども達の、活き活きとした様子が、目に浮かんで来たことでしょう。ところがこの野球、いつもとは全く違う野球でした…さてその理由分かりますか? 

  

実はこの野球、雨の日の室内遊びだったのです。それも多くの子どもたちが遊んでいる中、ごく限られた空間の出来事でした。想像のスタジアムで、架空の道具を使い、空想の野球をしていたのです。それもお互いが、一場面一場面を共有しながらです。「凄い!」と思いませんか。確かにままごとなどもよく似ています。それぞれの役割(お母さん・赤ちゃん・ペット等)に分かれ、ルールにしたがい遊びは展開されます。しかし一つ大きな違いがあります。それは、道具や遊具の有無です。年長(5~6才)位になれば、想像だけで野球をするのです。実際雨でない限り毎日園庭で、本物のボールとバット(本物と言っても、ゴムのボールとプラスチックのバットです。グローブはありません)を使って野球をします。毎日しているので、彼らの上達ぶりには目を見張ります。だからこそでしょうが、それにしても想像だけの野球なんて驚きです。ルールを理解し、プロ野球の選手の真似をしながら、タイムを取ってはガムを食べ、時にはビデオ判定まで導入しながらのプレーです。しかし大人は凄いと思っても、子どもたちにとっては、ただ野球が楽しいからしているに過ぎません。 

大人でも子どもでも、無理にやらされる事は苦痛でしかありません。ところが自分がやりたいしたいと思うことなら、他者には辛そうに見える事でも、本人にとっては苦痛でないし、それどころかもっとやりたいと思っています。これこそが、遊びの本質なのです。 

皆さんも子どもの頃、時を忘れて遊んだことがあったでしょう。たとえどんな状況にあっても、夢中になったり興味をそそげるものがあれば、それが子どもの生きる力になるのです。    

今回の雨の日野球は、子どもたちの生きる力の逞しさを、改めてビリビリ感じさせてくれました。 

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