令和6年8月
今日はどうかと天気予報を見るも、毎日毎日ぎらぎらの太陽マークばかり、人生史上もっともこまめに、水分補給に励む今日この頃です。いかがお過ごしでしょうか。
さて暑さにもまして私たちの住む日本は、ストレス社会などと呼ばれています。そんな我々の社会は、今や複雑怪奇と言っても過言ではないでしょう。しかし文明以前、人間は数十名くらいの集団で、遊動生活をしていたようです。グループ内では誰もが平等であり、リーダーはいませんでした。ところが農耕と共に人間の定住が始まると、大きな社会が形成されるようになりました。今も昔も同じですが、人間が集まれば集まるだけ、様々な問題が噴出します。その解決にリーダーを擁する上下関係社会が、作られるようになりました。
現在の私たちにとって身近な社会的リーダーと言えば、市長や知事などが挙げられるでしょう。このところ兵庫県の斎藤知事が、ニュースを賑わせています。知事は地域社会に貢献する為、強力な権限を持ちます。しかしその権力が、しばしば問題の種となるのです。今回、知事のパワハラを告発した職員が自殺したことから、知事の辞任を要求する声が高まりました。この場に及んで様々な話が飛び交っていますが、正直個人的にはその真相は分かりません。ただ報道を見る限り、知事と職員の間には、埋めがたい見解の相違があるように感じました。そしてその相違は、子育てにも通じるものだと思いました。
先日インスタで、馬が後ろに歩いているように見えると右脳派(感情的・直観的人間)、前に歩くように見えると左脳派(冷静・論理的人間)という動画を見ました。私は後ろ向きに見えたので、やっぱり右脳派かと自分では納得したのですが、その話を奥さんにすると「全然反対やわ」と言われました。えっーと思いましたが、自分が思っている自分と、他者が見ている自分が、全く違う事はよくあります。おそらく知事が思っている自分と、職員の見ている知事の姿は、180度違っていたのだと思います。それが知事にすれば、良かれと考え言ったりやったりした事が、職員にはパワハラとしか映らない大きな理由だと思われます。辞任に耳を傾けないのも、自分は社会をより良くしようとしている、それをいつか皆分かってくれると、本当に信じているからでしょう。しかしながら、他者が見ている姿(良いか悪いかは別にして)こそ、社会が認識している自分の姿なのです。
子育てもそうです。親は我が子に良かれと考え、したりさせたりする事が、子どもにとっては苦痛でしかない場合があります。それを見極めるのは、強い立場にいる親の務めです。弱者の子どもは、そんな思いを親には伝えられません。ただ子どもは違う形で(本人は無意識ですが)親に訴えています。そこを親は認識できるかどうかです。単なるわがまま、そのうち分かるというような考えでは、子どもの想いをいつまで経っても理解できないでしょう。おそらく知事もそうだったと思います。こんなすれ違いは、社会の隅々(小は家族から大は国家まで)で見られます。上に立つ者が、自分は正しい間違っていないと確信した時、すでにパワハラは始まっているのです。少しでも良い関係を望むなら、親もリーダーも揺るぎない自信は捨て、これで本当に良いのかと常に揺れる気持ちで、子どもや部下と関わるべきだと思うのです。