『 辰年を振り返り 』

令和6年12月

 来年の干支(巳)が、ニュースを賑わす時期となりました。今年は元旦から能登の地震、羽田の航空機事故と惨憺たる始まりでした。皆さんにはどんな1年だったのでしょうか。

 今年の4月からは、地域交流を図る育徳コミュニティーセンター(現マゼルバ)や、学童保育との関わりが大幅に増えました。そのためより幅広い年齢層の人たちとも知り合い、改めて人の想いは様々だと感じています。自分の当たり前がそうではなかったり、はたまたその反対もありと古稀を前に、未だに未知との遭遇を重ねております。
 小学生と過ごす時間も増え、彼らの考えや想いを、より身近に感じられるようになりました。一口に小学生と言っても1年生と6年生では、当然物事の捉え方や認識は違います。年齢と共に世の中の矛盾や不条理を知り、自分自身・家族・社会等を見る目も変わっていきます。それは子どもも大人同様、葛藤を抱えながら毎日を過ごしているということです。
いつも思いますが、人はたとえ同じような環境に育ったとしても、全く別々の人生も歩みます。心も体も悲鳴を上げる環境に生まれ育ったとしても、それを克服しながら生きていく者がいれば、押つぶされてしまう者もいます。何故そんな違いが生まれるのでしょうか。一つには生まれ持った能力の違いです。勉強、運動、芸術等々に秀でる子もいれば、そうではない子もいるし、他者への共感や努力することなどを、教えられなくても出来る子もいます。しかしながら生まれつきの能力だけではない、別の理由もあると思います。それが「出会い」です。生きる上で、誰と出会うか何と出会うかによって、後の人生が大きく変わってきます。人生最初の出会いと言えば、通常母親です。まずは母親を通して、物事の捉え方や考え方となる価値観を身に付けます。そして父親、家族、先生、友だちなどの出会いによって、価値観は一つでない事も学ぶのです。出会いがあれば、必ずバラ色の人生が待っているわけではありません。知らなければ良かった事もあります。しかしそうは言っても、そもそも出会いがなければ、自分の人生を自覚し、見つめ直すような機会はないと思うのです。そういう意味において、出会いは人生そのものだ、と言っても過言ではないのかもしれません。

今は子育てが難しい時代です。ネットは私たちに、知りたい事も知りたくない事も瞬時に届け、地球の裏側とも簡単に繋がれます。さらに所得差が子どもの経験格差となり、人生を左右すると言います。日本は人間関係を根幹とする社会ですが、プライバシーという言葉を聞く頃(1960年代)から、その人間関係が壊れ始めました。そして対人恐怖、核家族、登校拒否、引きこもり、孤食等の、人の繋がりが断たれる社会現象が現れました。ネット世界は可能性と不安に揺れながら拡大する一方、五感を通す生身の世界はますます縮んでいます。こんな今だからこそ子どもも大人も、生身の出会いの豊かにある社会が、もっと必要なのだと思います。誰にも生まれつきの能力や経済格差等はあります。それをいくらないと嘆いても、ない物はないのです。しかし出会いは誰にもあります。まずは出会いを探す一歩を、踏み出してみてはどうでしょう。案外身近にあるものです。それでは最後になりましたが、どうぞ良い年をお迎えください。

早川友教

ブログ

前の記事

『 聞く会話 』