『 泣き虫の子は優しい子 』 

 三月弥生、新たな世界へ向かう季節が巡って来ました。巣立つ皆さん、今は期待と不安に揺れているのかもしれません。しかし未来は皆さんが築くのです。応援しています! 

 半世紀近く子どもたちと関わってきました。その中に今でも印象に残る子どもがいます。30年以上前に出会ったAちゃんです。Aちゃんは2年保育で入園した、おとなしい女の子でした。園生活の始まった当初は、特に気にかけていませんでした。ところがクラスも落ち着いた頃ミーティングで、Aちゃんと話したことがあるかという話題が出ました。そう言われれば、声を聞いたことがありません。それ以後、気にしながら話しかけたりするのですが、いつも一方通行、友だちと会話する様子もなく、今なら場面緘黙(ばめんかんもく)というような状態が続きます。何とか声を聞きたくて、あの手この手を使うのですが、のれんに腕押しです。とうとう卒園までAちゃんとの会話はかなわず、悔いだけが残りました。 

 それから何年も経ったある日、中学生くらいの女の子が園を訪ねて来ました。にこやかに「誰かわかる?」と言うのです。最初は全く分からず、ようやくAちゃんと分かった時は驚きました。「えっーAちゃん!?」。そしてさらに彼女の口から、驚愕の発言が飛び出したのです。「年中の時は、すごい楽しかった」。…思わず声を失いました。えっあの時楽しかった?!笑顔もなく、声も上げず、会話もない、己の至らなさを思い知らされたあの頃が…楽しかった!?その一言に心が震えました。そしてなぜ自分が子どもと関わるのかを、納得したのかもしれません。自分も未熟なりに、何とかAちゃんの声を聞きたくて、事あるごとに彼女の良い所、みんなが称賛してくれるような所を探していました。 

 子どもと関わる中で教えられ、心掛けている事があります。それはどんな時にも、子どもを決して否定的に捉えないという事です。すぐ手が出る子は元気な子、泣き虫の子は優しい子と見るのです。それは違う、ダメなものはダメだと教えなければ、と考える人もいるでしょう。しかし全ての行動には、必ず原因や理由があります。時には表の行動からは、全く見えてこない場合もあります。それを理解し解決するには、何よりも信頼関係が大切だと思うのです。自分を良く思ってくれる人には、子どもは心を開いてくれます。それが信頼関係確立の第一歩となるのです。もし子どもを否定的に見てしまえば、道は途切れてしまいます。 

 大人は子どもに対し、圧倒的に強い立場にいます。その大人から否定されれば、子どもには絶望しか残りません。そんな大人の思い込みに、歯止めをかける意味でも、子どもを肯定的に捉えるのです。この関係は子どもだけでなく、大人にも通じる部分があると思います。   

 若き日Aちゃんを前に、自分が適切な関わりをしていたとは思えません。が、試行錯誤する中で、何か通じるものもあったのでしょうか。それを知るのは、Aちゃんなのです。 

 これから新生活を踏み出す皆さん、又それを応援する皆さん、もし人間関係に悩む時があれば、相手を肯定的に捉えてみても良いかもしれません。それではあわてずあせらず、ぼちぼち歩いていって下さい。 

早川友教