『 気が利かない人 』 

 6月の和名を水無月(みなづき)と言います。食い意地がはっているので、水無月と聞くと和菓子の水無月(三角のういろうに小豆がのっている)を思い浮かべます。ところで改めてこの和名を見ると、梅雨の季節なのに水が無い月とはおかしいと思いませんか。実は水無月の無は「の」という意味なのです。つまり「水の月」という意味になります。旧暦なので現在の梅雨ではなく田に水を張る時期、ということから水無月と呼んだそうです。 

 さて新年度が始まり2ヶ月が経ちました。何でも4月から退職代行会社の電話が鳴り止まないそうです。世代による価値観もあるでしょうが、安直な利用はしない方が良いと思います。価値観はさておいても、各会社間では情報交換もしており、利用者は次の採用が難しくなる場合もあると言います。こんな時代ですから新社会人の中には、初めに思っていたのとは違うな、と感じている人も少なくないでしょう。また長年社会人として過ごしている人でも、日々何かと感じるものもあると思います。 

 そこで皆さんに質問です。「能力がない人ほど自己評価は高い」という話を聞いた時に、皆さんならどう思いますか。次の二つから考えてみて下さい。1)いるいるそんな人 2)ひょっとして自分もそうかも、さてどちらでしょうか。ちなみに私は1)でした。おそらく同じ答えの人は多いかと思います。 

 では皆さんが電車の中で、お年寄りに席を譲ってあげたら良いのに、というような場面に出あったとします。その時席を譲らない人に対して、気が利かないな人だなと思いました。しかし席を譲らない人は、自分は気が利かない人だと思っているのでしょうか。いえいえ、決してそうは思っていないはずです。そもそもお年寄りが困っている事に、気付いていないからです。気付いているのに席を譲らないのなら、それは気が利かない人ではなく意地悪な人でしょう。つまり気が利かない人は、問題に気付かないから気が利かないのです。残念ながら私たちは、他人の行動はいやでも目に入るのですが、自分の行動は目に入りません。だからしばしば自分は公平なのに、他人は偏見に満ち不公平だと考えてしまうのです。これを心理学で「バイアスの盲点」(バイアスとは先入観や偏見を意味する)と言います。ギリシアの哲人ソクラテスは2000年以上前、すでにこの事を説いています。人間はそうやすやすとは変わらないのです。 

 もし他人に憤りや不満を感じる時があれば、自分も誰かにとっての不満や憤りの対象かもしれない、と考えてみてはどうでしょう(簡単ではありません)。私たち誰もが「バイアスの盲点」を持っています。他人に感じるイライラやモヤモヤも、言うなら当たり前の事が当たり前に起こっただけなのです。他人に責任があると考えている限り、人間関係の問題は何一つ解決しません。自分もそうかもしれないと考えられるなら、少なくとも今までよりは腹も立たないでしょうし、もう少し現実に則した行動もとれるようになると思うのです。 

 基本的に能力の有る無しは、自分が決めるものではなく、それぞれのレベルにおいて、自分の周囲の人が決めるものだと思います。能力は他者と環境によって見い出されるのです。そういう意味では能力の有る人は、自分に能力があると思っていません。反対に最もはた迷惑な人が、能力が無いのに自分にはあると、勝手に思っている人ではないでしょうか。 

(自分では気づかないココロの盲点 ケース8 池谷裕二著 参照)    早川友教

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