政府は昨年同様、3ヶ月間の電気ガス代を補助するそうです。今年も前年以上の猛暑に間違いないでしょう。3ヶ月と言わず1年中そうしてほしい今日この頃です。
最近、学童保育で気になる事がありました。それは限られていますが、小学生の女の子が自分を「ぼく」と呼ぶことです。一昔前なら「わたし」や「うち」が普通でした。「ぼく」は男子が使う言葉で、女子が使うことはありませんでした。男の子は男を意識し出すと「おれ」呼びが増えます。「ぼく」は柔らかい印象があるので、使わなくなるのかもしれません。それもあり女の子が「ぼく」を使うようになったのでしょうか。アニメや漫画の影響なども言われますが、いずれにせよ何故女の子が「ぼく」と呼ぶようになったのでしょうか。最初は友だち同士で、ふざけて言っているのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。彼女たちに聞くと「友だちが言っていたから」とか「言いやすいから」というような答えが返ってきました。どちらかというと低学年を中心として、徐々に広がっている印象です。それも全国的傾向のようです。お母さん方は、自分のことを何んと呼んでいましたか。
今という時代の中で「ぼく」と呼ぶ女の子は、女言葉としての「わたし」に、限界を感じるのかもしれません。通常人間は生まれた時の性別により、男として生きるか女として生きるかが決まります。それは言うなら男女ともに、異性としての自分を失うという事です(生物学的観点ではありません)。「ぼく」と呼ぶ女の子は「わたし」=女という意味では、表現できない想いや考えを「ぼく」呼びに込めているのでしょうか。では男の子は何故「わたし」や「うち」という呼び方をしないのか、それは男子は性による社会的制約が、女子より少ないからと考えられます。言い換えれば男子は、女子よりも社会的認知度が高いのです。昭和の時代には、女は内(家庭)男は外(仕事)が、社会の常識でした。
ノンバイナリーという言葉をご存知ですか。私は最近まで知りませんでした。自分を男性でもなく女性でもない、あるいは男性でもあり女性でもある、と考える人たちのことだそうです。生まれた時と反対の性を生きる人たち、又ゲイやレズの人たちとも違い、第3の性とも呼ばれます。今では薄れてきましたが、男は男らしく女は女らしくという社会通念があります。それに反すると「男のくせに…」とか「女なのに…」などと批判されます。国、民族、宗教等によって違いはありますが、性別による制約は世界中で見られます。
言葉は時代を反映します。「ぼく」と呼ぶ理由はそれぞれでしょう。彼女たちは自分を、ノンバイナリーとは考えていないと思います。が、時代は反映しているのです。「ぼく」と呼ぶ女の子やノンバイナリーは、失った自分の半分を取り戻したい人なのかもしれません。
早川友教
