『たたいた たたいてない 言った 言ってない』

 年長の子どもたちは、間もなく人生の大きな区切りである卒園を迎えます。おそらく保護者の皆さんも毎日の送り迎えの度に、様々な思いが湧き出てくるのではないでしょうか。

 子どもたちが遊んでいると、よくけんかの場面に出会います。仲裁の必要な時には、間に入りますが「たたいた」「たたいてない」とか「言った」「言ってない」等いわゆる水掛け論が、しばしば繰り広げられます(年齢によりますが)。こんな時には、まず子どもを落ち着かせ事情を聴きます。又、周囲の子に状況を聞いたりします(たいがい、聞くまでもなく教えてくれます)。それでもらちが開かない時は、普段の生活状況からどちらの言い分が妥当か判断します。正確な裁定を心がけますが、100%間違いがないとは言いきれません。又、その場面だけで判断すると、そもそものけんかの発端や理由が、分からなくなります。実はたたかれて泣いている方が、けんかの原因という事も少なくないのです。ただこじれた場合、最終的には子どもと先生の人間関係が鍵となります。

 子どものけんかに水掛け論はつきものですが、大人の世界では、子ども以上にこの水掛け論が飛び交います。言った、言わないと双方が言い張り、これが繰り返されるのです。おそらく意図的でない限り、両者の会話における理解の問題だと思います。つまり自分ではこんなつもりで話しているのに、相手は全くちがった意味で捉えているのです。極端な話ですが、自分はイエスと言ったのに、相手はノーと捉えているのです。こんな話が、大人の世界ではしばしば起こります。真意を相手に伝えるのは、そんな簡単ではありません。

 何故、こんな事が起こるのでしょう。おそらくどちらにも言えることですが、お互いの思い込み、先入観、心理状態、社会的な立ち場(面子)、人間関係…等々が、原因だと考えられます。さらに大きな要因があります。それは、人間は自分の聞きたい事だけを聞き、見たいものだけを見るからです。都合の良い事柄だけを、集めようとするのです。又偶発的な出来事ではなく、ある一定の人間関係のある状態で問題が発生した場合、お互いの信頼関係が問われることも多いと思います。

 日本の社会は人間関係が基礎となっています。その人間関係に問題がある場合、相互理解が困難になるのは明らかです。日本は引いて引いて(譲り合って)問題を解決する社会ですが、欧米は押して押して(主張し合って)問題解決を図る社会です。ただしどちらが正しいという話ではありません。文化が違うのです。近年日本では、表面だけが欧米化し、言った者勝ちのような風潮も見られますが、それでは本当の問題解決には繋がりません。相互理解を目指すには、聞きたくない事も聞き、見たくない事も見る、という姿勢が必要だと思います。ただしこれも、簡単な事ではありませんが。

 これから飛び立つ子どもたち、たとえ遠回りしても構いません。問題があってもそれなりに向き合い、ぼちぼち歩いていってほしいと思います・・・。

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