『 昭和の子育て 令和の子育て 』

 新学期が始まり約一ヶ月が過ぎました。お子さんも新生活に慣れてきたかと思います。しかし楽しいゴールデンウイーク明けには、里心のついた子どもが待っています。お母さんお父さんも朝泣かれれば、どうしたって心は痛むでしょう。それでも心を鬼にして、我が子をあずけてください。後ろ髪は引かれと思いますが、真っすぐ仕事へ向かってください。その思い切りが、明日の楽しい園生活へつながるのです。 

 近年、昭和と比べ子どもにあまりストレスを感じさせない子育てが、一般的になってきたように思います。本来ストレスとは、外部からかけられた圧力によって、ひずみが生じた状態のことを言います。私たちは、日々様々な圧力(時には自分自身も圧力になる)を受けています。ストレスは通常、マイナスのイメージで捉えられているようですが、時には生きる活力を得る為の、弾みになることもあるように思います。例えば子どものストレスをプラスに考えれば、子どもが学ぶべき人生初の壁や課題と言えるかもしれません。それを乗り越えられたなら、子どもは生きる自信を得ることが出来ます。ただ常にそうではないし、反対に上手くいかず自信を失う時もあるでしょう。おそらくそんな事が、ストレスの少ない子育てが広がった理由の一つかもしれません。 

 ところで、子どもをだめにする効果的な方法があります。それは子どもにストレスを感じさせないよう全ての望みをかなえる事です。欲しいものを与え、したい事だけをさせ、いやな事はさせない、言うなら重度の過保護です。一見、虐待とは正反対のようですが、子どもをだめにする観点から見れば、虐待と変わらないでしょう。一つ誤解しないでほしいのは、だから令和の子育てが間違っているという事ではありません。 

 私が生まれ育ってきた昭和という時代は、欧米社会が一つの憧れでした。戦後テレビの普及とともに、それらの情報が一気にお茶の間に流れ込んできたのです。一見は百聞にしかず、見るものすべてがキラキラ輝いていました。当時の日本には、子どもがあふれていました。兄弟にしても3人4人は普通で、一人っ子は珍しい存在です。人付き合いは濃密で、我が子が勝手に近所へ行って遊ぶなんて日常でした。もちろんプライバシーなんてどこにもありません。ところが欧米文化が認知されるにしたがい、プライバシー等は尊重されるべきものへと変わっていきました。そんな価値観の変化が、個人の重視へとつながっていきました。それは、家族(3世代同居が普通でした)や濃厚な人間関係等を土台とした、多くの人手を介する子育てから、母一人の子育てに移ることを意味しました。 

 令和のお母さんたちは、日々子育てに揺れながら、がんばっています。昭和なら、子育ての見本は身の回りにあふれていました。悩み事は自分の母親、おばあちゃん、近所のおばちゃんたちなどに相談すれば、あっという間に手助けや助言が得られました。そもそも相談するまでもなく、自分自身がされてきた子育てをしていれば、それが立派な母親だったのです。プライバシーはなかったけれど、一人悶々とすることもありませんでした。ところが今では、そんな子育ては消えてしまいました。それは私たちが望んだ社会でもあるのです。  

   昭和の子育てを体験した者からすれば、令和の子育ては大変だと思います。昭和になかったスマホやネットもあるし、基本母親の双肩(今風に言えばワンオペ?)に、かかっているからです。父親や家族の支えもあるでしょうが、どうしてもこの時期の子育ては、母に比重がかかります。だからもし子育てに悩むなら、躊躇せず園や役所へ相談してください。それが令和の子育てだと思います。考えるだけではなく、まずは具体的に動くことです。 

 いつも思うことがあります。それは子育ての期間は、案外短いという事です。例えばその区切りを高校卒業(18才)と考えれば、年長(6才)ならあと12年です。それを長いか短いかどう感じるかは、人によって違うでしょう。しかし想像して下さい、子どもの独立した未来の家族の姿を。今は大変だと感じている子育てが、少しは愛おしく感じられないでしょうか。その想いは、昭和でも令和でも変わらないと思うのです。 

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