令和6年9月
九月の和名を長月と言います。旧暦の名称なので、現在なら10月頃の季節を表わす言葉です。他にも呼び名は様々あるのですが、秋の夜長とも言われるように、夜が長くなるところから、長月という名がついたそうです。
さて日々我が子と奮闘するお母さんお父さん、何かにつけ子育てに悩む事は、多いのかもしれません。成長するにつれあれほしい、これほしい、それしたい、それいやだ、今がいい、あとがいい等…子どもの言い分は増すばかり。そのたびに、拒んだり、受け入れたり、保留したりするわけです。例えば我が子が園に行くのをぐずります。そんな時親はいろいろ考えるでしょう。無理やり連れて行くと心に傷がつくのでは、あるいは親子関係にひびが入るかも、明日から登園拒否にならないか…等々。時には体調が悪くてぐずることもあります。しかしそうではない場合、親子関係を見つめ直す良い機会ではないでしょうか。
嫌がる子どもを強引に園へ連れて行くのは、親にすれば何やら虐待をしているように、感じるのかもしれません。本当の虐待なら犯罪ですが、ぐずる子どもを園に連れて行くのは、子どもの揺れる気持ちに、方向性を示すわけです。言い方を変えれば、子どもの背中を押すということです。それは紛れもない立派な子育てといえます。
子どもとの関わりに迷いがある時は、なぜ我が子にそうしてほしいのかを考える事だと思います。園に行くのは、親の仕事があるからでしょう。それは正当な理由です。それなら子どもが嫌がっていても、毅然と園へ連れて行けば良いのです。それが子どもが生きる為の一つの規範となります。親と別れて泣くのも束の間です。それを今日は泣き止まないから、行かなくても良いとしたり、親が毎回ズルズルつき合うと、子どもは気持ちを踏ん切られません。だからこそ親が仕事の時は園に行くという姿勢を示すべきなのです。
しかしそうは言ってもただ行けば良い訳ではありません。その前に考えておく事があります。まずは親子間、そして園と保護者の間に信頼関係があるかないかです。又子ども自身が、園の楽しさを知っていることも大切でしょう。これらがそれなりに確立しているなら、躊躇せずに園へ連れて行けばよいのです。大切なのは一貫性だと思います。親が昨日は良くても今日はだめ、というように言動や行動をコロコロ変えない事です。
又子どもには子どもなりの、行きたくない理由が必ずあります。例えばある日、ふとなぜ自分は園に行くのだろう?そんな疑問を持ったのかもしれません。家なら気ままな生活をおくれます。制約の多い園がいやだ、と考えるのも不思議ではありません。
一つ忘れてならない事があります。それは一見園に行きたくないとぐずるのですが、実はそれは隠れ蓑に過ぎず、本当の理由が別にある場合です。これは子どもによく見られる行動です。おそらく彼らは意識していないでしょうが、もっと自分をかまってほしい(親はやっていると思っていても)、というような想いがあるのかもしれません。いずれにせよこの見極めは大切です。それを見過ごすと、親子関係にひびが入りかねません。もし親が我が子の行動に「隠れ蓑かも」という視点を持てるのなら、それなりに安定した親子関係を築けると思うのです。
早川友教