ごあいさつ

 今回この新ブログ『ボチボチいこか』を開いていただきありがとうございます。おそらく私をご存じない方もおられるでしょう。簡単に自己紹介をいたします。名前を早川友教と申します。アソカですでに40年近く過ごし、令和3年の3月まで26年間、園長をしておりました。明石家さんま、阪神タイガースの掛布、ボクシングの具志堅、郷ひろみなどと同世代です。園長だった頃、子どもたちから「園長先生」とは呼ばれず、もっぱら「はやちゃん」とか「おっちゃん」と呼ばれていました。当分は園内をウロウロしていますので、もし何か話しをしてみようかなと思ったら、気軽に「はやちゃん」と声をかけてください。

今までは園だよりに、毎月好き勝手なことを書いていましたが、この4月よりこちらのブログに舞台を移して、続けていこうと考えています。もし気が向いた時には、開いてみて下さい。それでは、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて新年度が始まりました。集団生活が生まれて初めての子どもや、特にその保護者の皆さんは、緊張しているのではないでしょうか。しかし親が考えるより、子どもはたくましいものです。最初は園に行くのがいやで、あんなに泣いていたのに、今では笑顔でバイバイと親の手を放す、あのママッーと泣きわめき、腕にしがみついていた頃が懐かしいなんて、園生活を語る上で代表的なあるあるです。とは言っても、実際毎日泣かれていたら、親としてちょっと園に入れるのが早かったかなと、気持ちも揺れることがあるでしょう。しかし子どもは親を選べません。行くにしても行かないにしても乳幼児期の子どもは、親の決断に従わざるを得ません。最終的には親の踏ん切りです。何が子どもにとって良いのかなんて、我が子が大人になった時、この親で良かったと感じてくれるまで分かりません。どんなに子育てに過酷な状況であっても、心が通じあう親子関係は結べるし、一見非の打ちどころがないような子育て環境であっても、親子の心が離れ離れの場合だってあるのです。

何がそんな違いを生むのでしょう。私は親が自分の子育てに、ほどほど揺れることだと思います。親は日常の様々な場面で、常に決断を迫られています。何を食べるか食べないか、テレビゲームをしても良いのかだめなのか、公園へ遊びに行ってよいかどうか等々・・・。そんな忙しい日常の中でふとした時、自分に問う事でしょう。親として今の判断はどうなのか。いつもは流してしまうことでも、我が子にとってどうなのか。そんな立ち止まる時間を持つことです。揺れる気持ちを持ち続けられるなら、子育ての方向が大きく外れることは無いように思います。

この新型コロナの時代、何かと制限は多いのですが、子どもたちが未来へ向け、前向きに歩く支えになれればと思います。今年度は、園バスの運転もします。もし町で見かけたら手をふってください。運転にさしつかえない範囲で、私も手をふりたいです。

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