最近、奥さんと話しているとこんな場面がしょっちゅうあります。テレビを見ていて「この人、あの人の息子やね」「あーそうそうあの人な」そして沈黙が訪れます。二人ともあの人の顔は浮かんでいるのですが、名前が出てこないのです。こうして又しばらく静寂の時間が流れます。二人してあの人の名前を考えているのです。こんな時私は、あいうえおを順番に頭に思い浮かべます。ああああべ?違う、いいいいのうえ?違う、ううううえだ?違う、ええええんどう?違う、おおおおだ??そうオダやっ!という具合に。しかしいつも上手くいく訳ではありません。今では有名人なら、スマホですぐに検索できる時代です。しかし老化対策には、おのれの脳みそをしぼる事がとても大切なのです。時にはすぐに思い出せず、何日かして突然トイレの中で「オダッー!」と叫んだりもします。思い出した時は、本当にすっきりです。おそらくこの感覚に共感してもらえるのは、ワクチンを早く接種した世代でしょうね。
さて日々子どもと関わっていると、よくあるのが喧嘩の仲裁です。「Aちゃんがたたいた」とBちゃんが訴えてきました。「なんでたたいたん」とAちゃんに聞くと、黙って下を向いています。どうやらたたいたのは、間違いなさそうです。改めてもう一度聞きます。しかし何も変わりません。そこでAちゃんの様子をみながら「AちゃんはBちゃんと遊びたかったんやろ」と言うと、Aちゃんはうなずいたのです。ようするにAちゃんはBちゃんと遊びたかっただけでした。ただ、その思いを自分で言葉に表されなかったのです。だから楽しそうに遊んでいる様子を見ていたら、自分も同じように楽しく遊びたいのに、自分は遊べない現状がもやもやを生み、思わずたたいてしまったのです。その後「遊びたかったら、よしてって言ってごらん、そしたら遊んでくれるよ」と話すと「たたいてごめん、よして」「いいよ」となり、AちゃんはBちゃんたちと楽しく遊びました。
このようにいつも丸く収まる訳ではありません。ただこんな時に大切なのは、子どもの気持ちを、代弁してあげる事ではないでしょうか。代弁と言うと仰々しいのですが、ようするに子どもがかかえる思いを、大人が具体的な言葉にして表現するのです。あなたはこんな事をしたいのでは、あるいはこんなふうに考えているのでは、と察してあげるのです。すると子どもは「あっ、自分はそう思っていたのだ」と、初めて自分のモヤモヤの理由が、理解できるように思います。大人(親や保育者等)は「友達をたたいてはいけない」と怒ることはよくあります。そして「分かったら返事は」「…はい」で一件落着の場合が多いように思います。しかし実は子どもはたたいた理由を、自分でも分かっていない場合があるのです。つまりなぜ怒られたのかを理解していません。「はい」の返事も、とりあえずのあいさつみたいなものなのです。だからその理由(子どもの思い)を、大人が言葉で形にしてあげるのです。その形が出来れば、こんな時にはこうすれば良い、というルールも理解可能となるのです。
しかしながら大人が言葉にしたことが、常に子どもの思いに、ピッタリ当てはまるかは分かりません。当然違うこともあるでしょう。しかし少なくとも代弁してくれた大人は、自分に寄り添ってくれる人、言葉を変えれば信頼できる人だという事は、子どもに通じるように思います。確かに1~2歳児に言葉だけで物事を伝えるのは難しいでしょう。しかし3歳児以上になれば、それなりに可能となります。子どもに代わって、大人が言葉にする、その行為がお互いの関係を深める事にもなるように思います。ただし大人の考えを、誘導尋問のように子どもに押し付けないことは大切です。もし子どもに問題行動がある時(時にはない時も)は、子の思いを察して、大人が進んで言葉に出してみると良いのではないでしょうか。世の中にはいろいろな子どもがいます。しかしこの言葉で形にする行為は、全ての子どもに通じると思います。