コロナ禍の下、羽が伸ばせない状態が続いています。皆さんも、悶々とする日々を過ごしているのではないでしょうか。大人なら、その解消法としてお酒があります。近年女性も男性並み、いやそれ以上にアルコールをたしなむようになってきました。アソカでもその傾向は顕著です。個人的には痛風持ちなので、今は全く飲みません。
さて酒量がとめどなく増えると、その先に待つのがアルコール依存症(俗にいうアル中)です。日本では、全飲酒者の2割が、全酒量の7割を消費しているそうです。この2割の内の約80万人が、依存症及び予備軍といわれます。この依存症は治療可能ですが、完治するには遠い道のりで、断ったり飲まれたりの繰り返しです。ところが、それが劇的に治る場合があります。横浜の寿町(日雇い労働者の街)で、長年依存症の治療をしている鈴木伸という精神科医がいます。こんな事を言っています。「依存症って面白いのですよ。改心というか悟りを開くというか、ある日突然何かが降りてきたとしか思えない回復をするのです」。それがいつ起きるかはわかりませんが、起きるのだそうです。一生酒は止めないと豪語していた60代のおじさんが、ある日階段から落ちてケガをし、それをきっかけにピタッと酒を断ちました。それまでにも、数えきれないくらい落ちていました。改めて理由を聞くと「このままじゃだめだと思った」と言います。まるで天からの啓示を受けたかのようです。こんな体験が、鈴木医師を長年の治療にあたらせているのです。「こちらが無理やり治そうとしても失敗します。医師が治すのではなく、本人が今のままではだめだという自覚が大切です」と言います。(令和3年8月7日(土)日経新聞プロムナードより)
お母さんから、時々こんな悩みを聞きます。いつまで経っても園に行くのをぐずるので、何とかなりませんかという話です。子育て中の皆さんなら、多かれ少なかれこんな経験があると思います。しかし毎朝ぐずるとなれば、親だって精神的にも体力的にも大変です。一日の仕事のやる気も、失せてしまうかもしれません。ただし、園でずっとぐずっているわけではありません。別れた後は機嫌を直して元気に遊ぶのです。とは言え毎日の事となれば、親にすれば切実な問題に違いありません。
何故子どもはぐずるのでしょうか。その時の様々な状況や条件等によって、原因はいろいろ考えられます。例えば、本能的な母への執着(自分を一番に守ってくれるであろう人に、依存するということ)。 あるいは親子関係の問題(親子間の信頼の在り方に、双方で大きな認識のへだたりがある)。 兄弟との関係(自分は何かにつけがまんしているのに、親はそれを認識していない)。 妹や弟などのライバルが誕生した、あるいは誕生する予定。 園の先生や友達との関係が十分築けない。 本人の生まれ持った資質や性格。 ふと自分の置かれた立場に気がつく(今まで疑問も持たずに毎日園に来たが、本当はもっと家で遊んでいたい)。 母子分離の問題(自我の芽生えによる親離れへの不安。ただこれには、親の子離れが出来ない場合も多い)・・・等々です。原因は千差万別ですが、親子関係がある一定良好であれば、大きな原因としては、子どもの資質や性格に由来すると考えられます。カエルの子はカエルです。お母さんやお父さんが子どもの頃、ぐずったりはしていませんでしたか。
では何か良い解決方法はあるのでしょうか。もちろんその場だけの事なら、なだめたり、行っておいで!と親の踏ん切りがあれば園にも行くでしょう。しかしそれはあくまでも、その時だけの対処療法です。根本的な解決を考えるなら「日々の積み重ね」これにつきます。毎日、それなりに安定した親子関係(安定と言っても、子育てに揺れないというのではなく、揺れることが安定につながります)が、根本解決への道だと思います。そんな日々の中で、子ども自身がぐずる理由はない、という自覚(自覚というより気づき)が必要となります。その為には、子の気づきを待つという親の姿勢が大切なのです。まさに鈴木医師の無理やり依存症を治そうとしてもダメで、本人の自覚が大切という事が当てはまるのです。
もっとも、簡単に子どもの気づきを待つといっても、親にすれば長い葛藤の日々だと思います。しかし必ずその日は来ます。ふと気づけば、いつぐずったかなと振り返る日が。辛い時にはあまり先を見ず、その日一日に目を向けながら待ってほしと思います。それが出来れば子育ては、今よりももっと希望と楽しさに満ちたものになるでしょうし、案外早くその日は来るかもしれません。
子どもの頃世界は、毎日が新鮮な発見に満ちていました。ところが大人になるにつれ、そんな感動や驚きを失ってしまいます。しかし一方、大人になって初めて知る喜びや感動があります。それは子育てです。そんなこと言っても、現役の親にとり子育ては思っていたより大変だ、と感じる事は多いかもしれません。時には逃げたい、時には叫びたい日もあるでしょう。しかしお母さん、お父さん、どんな時でも子どもは親を、一途に見つめているのです。だからもうしばらく待ってみましょう。子どもの笑顔を思い浮かべながら。今は考えられないかもしれませんが、いつかきっとこの子の親で良かったと思える日は来ます。