『 ケーキの切れない非行少年たち 』

令和という時代に入り、私たちはずっとコロナと闘っています。ウイルスを根絶したいと望むのですが、残念ながら過去の歴史を見る通りそれは不可能です。だからこそ今年は、人類とコロナの折り合いがつき、それなりに共存できる世界になってほしいものです。

一月の日本経済新聞にこんな記事が出ていました。130年前に大流行したロシア風邪の原因は、インフルエンザと考えられていましたが、実はコロナだったというのです。当時世界中で大流行しましたが、集団免疫の獲得と共に弱毒化を重ね、最終的に収束したようです。ではオミクロンも同じ道をたどるかというと、それは分かりません。130年前は、世界人口が15億(現在75億)ほどでした。飛行機などもなく、人の移動は限られていたにもかかわらず、世界中で猛威を振るいました。やはりマスク、換気、人混みを避け、距離をとるなど、基本的な対策を徹底するに尽きるでしょう。

先日『ケーキの切れない非行少年たち』という本を読みました。話題になったので、読まれた方もいるかもしれません。私たちが日常生活をおくる中で、時々信じられないような悲惨な事件に、驚かされることがあります。又それを引き起こしたのが、未成年の少年たちだったりするのです。そんなニュースを聞くたび、彼らの行動をどう理解すればよいのか悩みます。いくら考えても、私たちの常識や価値観では、説明がつかないからです。しかし今回この本を読んで、そんな行動を理解する手がかりが、見つかったように思いました。

本のタイトルにあるように、少年院に入ってくる彼らの多くは、円形のケーキを3分の1の等分(ベンツのマークを想像して下さい)に切れません。又、図形などを正確に模写することも苦手です。さらに95パーセントの少年たちは、小・中学校時代にいじめを経験しています。ただし間違わないでほしいのは、こういった共通点があるから非行に走るのではありません。彼らの歩んできた人生の結果として、これらの姿が現れてくるのです。

では何がそうさせるのでしょうか。理由は様々あるでしょうが、まず最初に考えられるのは、人間関係だと思います。別の言い方をするなら、誰と出会うかです。この「人との出会い」が人生において、多大な影響を及ぼすように思います。特に親と子という関係は、子どもの人生の土台となります。何と言っても子どもは親を選べません。いやがおうでも生まれた親下で、人生を歩き始めなければならないのです。

そもそも少年院に入ってくる彼らの親は、親としての役割を果たしていません(親自身も又同じような人生を歩んできました)。さらに子どもの多くは、軽度知的障害や境界知能と言われる、日常生活はそれなりにおくれるのですが、本来は支援も必要な子ども達なのです。ところが彼らは、少年院に入るまでそんな状態が、周囲に理解されませんでした。支援が必要なのに支援は受けられず、反対に社会から疎外されてきたのです。その結果が『ケーキの切れない非行少年たち』なのです。無論だからといって彼らが、赦されるわけではないでしょう。当然、償いはするべきです。しかし彼らの行動を、今までの社会通念だけで、判断するべきではないように思います。彼らがそうするに至った背景を、今までとは又違う観点から捉える必要があるのではないでしょうか。そしてそれが、社会で共有されることが、これからの課題のように思います。

彼らを知るという事は、私たち自身を知る事だと思います。私たちの理解が及ばないから、彼らは自分とは違う存在だと考えている間は、少年院が無くなることはないでしょう。もし興味があれば、一度この本を読んでみてはどうでしょうか。

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