間もなく年長さんは卒園です。今さらながら時の経つ速さに驚かされます。ついこの前入園したのにもう卒園なんて・・・。小学生になればそれぞれの道を歩くことになります。子どもたちにとっては、おそらく人生で初めての大きな分かれ道でしょう。どうか悠々と自分の道を歩いてほしいと願っています。
「不適切にもほどがある!」という番組が話題になっています。ご覧になった方も多いのではないでしょうか。1986年(昭和61年)から令和の現代に、中学の体育教員がタイムトラベルし騒動が起きるドラマです。今ではとても考えられませんが、パワハラ、モラハラ、セクハラ等々の非常識のオンパレード、暴言を吐きちらし、どこでもたばこを吸いまくり、手は出る足は出る有様です。その当時だって、決してこれら全てが許容されていた訳ではありませんでしたが、私などにとってはおなじみの時代です。令和の今その反動もあるし、社会の価値観や家族観も大きく変化しました。子育てにしても、我が子を威丈高に怒る父親は圧倒的に減りました。「地震、雷、火事、親父」は、かつてこわい物の代表でした。私にとっての父親の存在は、正にその通りでした。普段はできるだけ父親に、近づかないようにしていました。だから今のやさしいお父さんは、うらやましい限りです。しかし一方、絶対子どもを怒ってはいけないとは考えていません。
大人の考えを子どもに伝える場合、子ども自らが理解する、あるいは大人が子ども対し、怒る必要のない関わりをするのが理想だと思います。手が出る足が出るのは問題外ですが、重要なのは誰が怒るかということでしょう。その前提として、当事者である子どもと大人の間に、信頼関係があるかどうかです。さらに怒る前に、考えなければならないことがあるように思います。
子どもを怒るとは、大人の信じる行動規範(この時はこうするというルール)を、子どもに強く、時には一方的に知らしめる行動と言えるでしょう。例えば我が子の偏食を解決しようとします。最初に「一口食べてみよか」とうながします。が、聞かないので次は「食べないとテレビはなし」と条件をつけます。それでも食べないと「食べるまでは、そこに座っていなさい」と怒ります。そしてようやく一口食べます。言うまでもなく極端な例ですが、一般的に怒る時とは、こんな感じではないでしょうか。怒られて一口食べ、食わず嫌いが解消するような場合もありますが、ぶり返すこともあります。こんな時は、本当の原因が別にあるのかもしれません。もしかすると下が生まれた事による、自分も見てほしいアピールかもしれません。ひょっとすると成長不安だったり、又は夫婦関係の不安定さ、さらには家族内の自分の位置(3人兄弟の真ん中などにありがち)に、不安を感じている(自分は何でも後回し)…等々、様々な原因が考えられます。このように原因を探り、解決に向け具体的な行動をとる事を、怒る前にすべきだと考えられます。
大人と子どもの関係の一つの理想は、怒らずとも通じあえる関係だと思います。しかし、どうしたって怒る時はあります。ただそのあと常に後悔しか残らないのなら、二人の関係を一度見直すのも良いかもしれません。大人も子どもから多くを教えられるのです。