『 親には見えないこと 』

さて3学期にもなると、新入で入ってきた子どもも、すっかり園の生活にもなじみ、友だちと元気に遊ぶ姿が見られるようになります。すると今度は、けんかが増えてきます。けんかと言ってもその原因は、年齢等によって大きく違います。一般的に2歳児くらいまでなら、原因の多くは物の取り合いです。誰かがおもちゃを持っている、自分は欲しい、躊躇せず手を伸ばす、まぁこんな感じでしょう。しかし4・5歳児くらいになれば、その様子は変わってきます。コミュニケーション(言葉)の発達と共に、自意識の争いとなってきます。順番を守らない子がいる、それはだめだ守らねば、そして並んだ並んでないの口喧嘩が始まり、挙句の果てには手が出るのです。幼児期は何かにつけて主観が優先します。それ故、お互い最初から最後まで、自分が正しく相手は悪いというけんかになるのです。こんな場合大人にはその是非が明らかでも、子どもにとっては何故謝らなければならないか理解できません。論理ではなく信念の問題だからです。だからいくら大人が道理を説いても、子どもには通用しません。こんな時のケンカの仲裁には、感性に訴える説得が必要だと思います。例えるなら「見てごらん、この子泣いてるやろ、たたかれたら痛いねん、だからごめんしよな」というような説明です。この様な積み重ねが少しづつ客観性を育み、そのうち論理的な説明も理解できるようになるのです。 

子どもが「あの子がたたいた」と訴えれば親はまず我が子を、大丈夫かと気づかうでしょう。このように親が、子どもの訴えに耳を傾けることは、言うまでもなく大切な事です。しかし、親には見えない子ども同士の人間関係があることも、忘れてはならないでしょう。子どもも大人同様、子どもの社会があります。その中に、ケンカの原因が隠されている場合もあるのです。それを考えないと、どうしても一方的な見方になります。確かにその場面だけを切り取れば、たたいた子が悪いと見えます。しかし実際はたたかれた子に、そもそもの原因がある事も少なくありません。だから親にすれば、我が子がいじめられている大変だ!と見える時でも、実はそうではない場合もしばしばあるのです。 

よくいじめなのか、ふざけているのか分からない、と言うことがあります。しかしそれを見分ける鍵が、役割交代なのです。例えば二人の間で、たたかれる時があっても、別の機会にはたたいたりする時もある、そんな交代関係があるかないかです。もし交代のない常に一方的な関係が続くなら、それはいじめと判断できます。 

子どものケンカは、絶対すべきでないと考えるのは、一面的な見方に過ぎません。子どもが成長する過程において、親が頭を悩ます事は何かとあります。しかしそれと向き合いながら解決することが、何よりも大切ではないでしょうか。さらにそれは子どもだけではなく、親にも言えることだと思います。言うなら、子育てを通して親子が共に成長するのです。それが本当の意味での、子育てのように思うのです。  

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