全国的にコロナの感染者は大幅に減り、街には人の姿が戻ってきました。しかし相変わらず、宣言中と同じような生活を送っています。これも子育てが終了しているからこそ出来るのですが、子育て真最中となれば、子どもとお出かけ、いっしょに遊ぶ、兄弟げんかの仲裁、習い事の送り迎え、問題解決等々、毎日目の回るいそがしさでしょう。
さて子育てを卒業し10数年経ちましたが、時々奥さんと子どもの話をします。我が子の昔話や、孫たちが話題です。そんな時、時々驚かされることがあります。私には全く記憶がない事を、奥さんは当然覚えているでしょとばかりに、あの時はこうだった、この時はこうだったと話すのです。ところが内容は霧に包まれたままです。必死になって記憶を探すのですが、悲しいかな何も出てきません。あいまいに「あーうー」と返事を返すのみです。すると奥さんは「えっ忘れたの?!」と白い目で見るのです。こんな時学生の頃、突然指名され、頭が真っ白になった悪夢が蘇ってきます。お母さん方の中に、お父さんと話していて、こんな経験をした方はいませんか。もしあるあるとうなずいた方に、一言申し上げたい事があります。男だから肩を持つわけではないのですが、決してお父さんは嘘をついているわけではありません。実はこのように男は忘れ、女は忘れない生き物だという事は、人類が生き残りをかけ適応してきた結果なのです。だから全部が全部とは言いませんが、多くの場合男性は、本当に記憶にないことも多いのです。男女間によくある、言った言わないの話になると、ほぼ100パーセント女性が正しいのは間違いないでしょう。こんな記憶をめぐる話になれば、男性は女性に絶対勝てません。元々生物学的に具わっているものが違うのですから。だから朝買い物を頼んだのを忘れてしまっても、あまりお父さんをせめないで下さいね。
このような女性と男性の違いが、子育てに大きく影響することがあります。我が子の養育方針が、母と父では正反対になるような場合です。例えば、我が子が他人に大きな迷惑をかけてしまいした。母は、多くの人に迷惑をかけたのだから、関わった人たち全てに謝罪すべきだと考えます。しかし、父はそこまでする必要はないと言います(その理由は今は考えません)。おそらく問題解決の過程において、母は子の問題行動をいつまでも忘れない一方、父は時間が経つにしたがって記憶が薄れていきます。すると問題の捉え方も変わってくるのかもしれません。子育ては母・父どちらか一方だけがやれば良い、というものではありません。少なくとも夫婦関係がある限りは、ともに関わることが大切だと思います。もちろん子どもの成長時期によっては、どちらかの比重が重くなる場合はあります。しかしどんな場合でも、子どもの成長に必要なのは夫婦のきずなです。そのきずなを結ぶには、二人のコミュニケーション、特に会話が大切だと思います。夫婦は、別々に人生を歩んできた者同士が、たまたまご縁によって結ばれたものでしょう。夫婦だからと言って、全ての思い、考え、気持ち等が一致するなんて絶対にありません。時にはあうんの呼吸や、物言わずして通ずるそんなこともあります。しかし子育ての日常においては、お互いが理解しようとする継続こそが鍵なのだと思います。言葉に出さなければ、何も伝わりません。
昨日、夫婦で話す時間がありましたか。昨日なければ一昨日はどうですか。一昨日なければ三日前は…。もししばらく会話がなければ、今話してみて下さい。明日からやろうではなく、今日今からやることです。それが夫婦共に同じ方向を向き、苦労もあるが楽しい子育てにつながるのです。それは我が子の幸せでもあると思うのです。