「サイコホラー」

緊急宣言は、6月中も続くことになりました。こうなると自由に食べたり飲んだり、どこかへ行きたいというような思いは、ますますつのるばかりでしょう。特に子育て中のお母さんやお父さんにとり、延長は切実です。ようやく子どもをあちこちへ連れて行けると思ったのに、又々外出自粛なのですから。しかし6月中の緊急宣言期間中の平日は、各種施設等も開いているようですし、多少は気晴らしもできそうです。ただし週末はそれも無理なので、土日は公園通いしかなさそうですね。

 世の中、怖い話やホラー映画が大好きな人も多いと聞きますが、皆さんはどうですか。

ある日外出し家へ帰ってくると、見知らぬ人が我が家のテレビを見ているではありませんか。驚いて「どなたですか」と聞くと息子だと答えます。息子はいないはずなのに。それを皮切りに怪異が、次々身の回りに起こるようになったのです。お気に入りの家具が消える、かわいがっていたペットはいなくなる、大切にしまっていた鍵は突然なくなり、ついには、鏡に見知らぬ顔が映っているではありませんか。こんな話を聞けば、アメリカあたりのサイコホラーかなと思うのではないでしょうか。

ところがこれは、認知症の人が見ている、身の回りの世界なのです。人間が生きるというのは、記憶を積み重ねていくという事です。人間は記憶の体系だとも言えるでしょう。認知症を患うと、この記憶体系が壊れ出し、記憶の喪失だけではなく、時間や空間の認識が適切にできなくなります。現在と過去が入り乱れるのです。こうなれば不安と焦燥に駆られ、誰も信じられなくなるでしょう。そして誰もが自分に危害を及ぼす存在に見え出し、身を守るため暴力をふるったり、罵詈雑言を浴びせるようにもなるのです。これはある特定の人だけの話ではなく、私たち全てに起こり得るのです。

 最近、認知症を「老化に伴う人間的変化」と考えるようです。今までとは違う行動をするようになった人を『異常』と考えず『異文化』の人として捉えるのです(三好春樹「介護のススメ」新書)。例えば、海外の人と初めて接する場合、なぜそんな行動をするのか分からない、というような文化の摩擦はよくあります。しかし信頼関係を築く為には、何とか理解しようと努力します。介護も基本的に、それと同じことのように思います。家族だから、距離をとれないのかもしれませんが、長期間介護が必要な場合、一定「異文化の人」として距離を置く方が、お互いにとり心地良い関係を築けるのではないでしょうか。(R3・5・28 日経「春秋」参考)

 そんな事を考えていると親子関係についても、同じ事が言えるように感じました。大人から見ると「どうして、なぜ、いま、また、もう…等々」理解に苦しむ子どもの行動は、多いはずです。しかし子どもには、子どもなりの理由があります。その大きな原因が、大人と子どもは見ている世界が違うという事です。

先日ユーチューブで、色覚異常(赤とか緑等の色が判別できない)の人が、色覚調整をした眼鏡をかける動画を観ました。その眼鏡をかけた瞬間、信じられないような表情をし、感動の涙をこぼすのです。自分の今まで見ていた世界が、一瞬で色鮮やかな世界へ変身を遂げるのです。それは感動するでしょう。動画を観ていて思わず涙ぐんでしまいました。まさに違う世界に住んでいたのです。(補足ですが、自分に色覚異常があると知らない人は、案外たくさんいるそうです)

 ここまで極端ではないかもしれませんが、子どもと大人は同じものを見ているようで、実際は違うこともあるのです。子どもは大人がいなければ生きていけません。だから大人に依存しますが、だからと言って当たり前のように、大人のいう事を聞いていれば良いとは、考えないで下さい。子どもは子どもの世界を一生懸命生きているのです。

今回の記事を読み、介護と子育ては両極端という印象がありましたが、多くの共通点を感じられました。私たちはみんな子どもでした。しかしいつの頃から子どもだった事を忘れ大人になり、そして又いつか子どもへと帰っていくのです・・・。

(これからも月1~2回位で、このブログを書いていきたいと思います。)

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