『 母と父 我が子への関わり方の違い 』

 このブログを初めて見られる方もおられると思います。そこで改めて簡単な自己紹介をしたいと思います。私はアソカ学園で約40年勤務していました。令和4年の3月をもちましてアソカを辞め、同年4月より阿倍野区にあります育徳園という保育園の園長をしております。所変われば、文化も変わります。今はとにかく新しい園を、日々勉強中という状態です。ただその中で改めて学んだ事は、子どもはどこでも同じということです。これからも毎月、更新していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 日本語の一番美しい言葉は「桜ふぶき」という人がいます。その言葉通り風とともに桜は散り、新緑の季節となりました。そんな季節の移ろいとともに、子どもたちは新しい生活にも慣れきたように感じます。とは言え、初めて我が子を園にあずけるお母さん・お父さんにとっては、心配と不安の日々ではないでしょうか。朝我が子に泣かれれば辛い、その気持ちはよく分かります。ただ親が心配するほど、子どもたちはか弱い存在ではありません。楽しい園生活をおくるには、親のふん切りが大切です。泣いてもわめいても、サっと子どもを預けてください。それができれば、子どもはすぐに元気に遊べるようになるのです。

 戦争が止まりません。言いがかりとしか言えない理由をもって、ロシアは戦争を続けています。しかし振り返ればどの国も、大なり小なり同じような事をしてきました。こんな理不尽が、文明の成立以降ずっと続いています。およそ1万年前、人類史上最も革命的な発明がありました。農耕です。人類の生き方を劇的に変えたという意味では、現在のIT革命も足下に及びません。今でこそ農耕といえば、牧歌的でほのぼのしたイメージがあるかもしれません。が、発明当時は今でいう最先端テクノロジーだったのです。そこから文明が発生し、持てる者と持てない者という格差が生まれました。同時に所有の概念が誕生しました。そしてこの思想が、戦争の起源の一つとなったのです。それまでは血縁をもとにした小集団が、それぞれに散らばって生活していました。集団のメンバーは、常に生死を共有していました。だからすべての物は平等に分けられ、個人の所有や格差はなかったのです。

 

 この所有の概念が、子育てにも大きな影響を及ぼしています。母が我が子を、自分の物として考えてしまう事です。しかしそれも当然かもしれません。何といっても、母には子どもを産むという実感があるのですから。その時父は、指をくわえて見ているだけです。

 この実感がこだわりの範囲であれば、親子関係も良好でしょう。ところが、その思いが強過ぎると、我が子の所有感にとらわれ、愛情と束縛をはき違えてしまうのです。そこで必要なのが、母子間の適度な距離です。ところが母親には、その距離感がなかなか見極められません。それの見えるのが第三者です。もし親子関係に不安を感じているなら、一度保育士に尋ねてみて下さい。案外、親子関係を心配していないお母さんほど、問題のあることも少なくないのです。一方、不安を感じているお母さんほど、安定していることも多いのです。

  ところで最近、我が子に所有感を持つ父が、増えているように感じます。これは言うなら、母と父が同じ価値観を持つという事です。それまでは父が第三者の視点を担い、母が行き過ぎても、歯止めがかけられていました。それが出来なくなれば、子どもの可能性を閉ざす事にもなります。もちろん全ての親が、そういうわけではありません。が、それを防ぐには、子どもと意識的に関わる事です。親は我が子を束縛するものとして関わるのです。すると案外歯止めも自然にかかり、親子関係もそれなりに安定するように思うのです。

タイトルとURLをコピーしました