「 主役と脇役 」

週1~2回程度ですが、4月から自転車通勤をしています。約10キロを、40数分といった所でしょうか。結構良い運動です。実は26年前にも約1年間、同じ道のりを自転車通勤していました。当時はまだ40になったばかりだったので、変速も3段の自転車でしたが、毎日でも平気でした。今の自転車は電動なので、坂道や出足は当時の自転車とは、比べられないくらい快適です。ところが悲しいかな、体力の衰えは隠せません。乗った2日くらい後に身体のあちこちが悲鳴を上げたり、寝ていると急に足がつったりといった有様です。まぁぼちぼちやろうと思っています。

 さて3回目の緊急事態宣言下の5月です。とは言っても子どもたちは、それなりに新生活に慣れてきた様に感じます。しかし、新しい環境になれば、様々な壁と出会います。親にすれば、何かと心配事も多いはずです。そんな時には家族関係が、大きな支えとなるのです。

現在、上は大学から下は幼稚園までの孫がいます。同じ子どもと言っても、我が子と孫では、その関わり方は大きく違います。一言でいえばおおらか、別の見方をすれば甘いのです。我が子ならレッドカードを出していた時でも、孫には出しません。欲しいものには、むろん限度はありますが、基本的には応えます。改めて思えば、親でないからこんなことができるのです。家族と言っても親子と祖父母では、おのずとその関わり方は違います。

ところで、子どもをだめにする一番有効な方法は何だと思いますか。それは、子どもの望みを全てかなえることです。不満を生じさせないのです。一見理想の子育てのように見えるかもしれません。しかし人間は、様々な壁を体験する事により、人としての生き方を学んでいくのです。もしもそんな経験をしなければ、いつまでたっても自立出来ません。百獣の王ライオンは、我が子を千尋の谷へ突き落とすと言います。あえて試練を与えるのです。ただし試練ばかりではだめでしょう。1人ではい上がれない子もいるのです。そこで最も大切なのが、親の支えなのです。親は壁にもなれば、それを乗り越える支えにもなるのです。それが子育てだと思います。言い換えれば、お母さんお父さんこそが子育ての主役であり、ばあば、じいじは脇役なのです。脇役だからこそ、時にはスポットライトを浴びたい、それが孫には甘いという行動なのだと思います。

子どもの生活の基本は、親との日常にあります。そこで大切なのは、高いおもちゃや、好きなお菓子をいっぱい買うというような、非日常性ではありません。毎日の小さな積み重ね、例えば我が子の話を聞く、一緒にお風呂に入る、手をつないで散歩に行く、同じ子ども番組を見る…等、そんな小さな積み重ねが、子どもの安定感を築き、壁に向かう気持ちも生むのです。親に、ばあば・じいじの非日常性は必要ありません(もちろん時には、親の非日常性も大切ですが)。それよりも日常の小さな積み重ねが、親子の信頼関係を築いていくのだと思います。

タイトルとURLをコピーしました